_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

ひとりぼっち惑星

暫く更新を停滞させてしまった。

 

三連休が終わっていつもの日常がかえってきた。三連休はとても楽しいもので、まず、部屋がとても片付いた事。新居に越して今月末で2ヶ月になる。2DKのうち一部屋がなかなか片付かずであったけど、やっと箱がなくなった。すごく快適な空間になってツレと2人で喜んだ。ソファーをそちらの部屋に移動させたのも大正解。でも人間より猫の方が利用頻度は高いからちょっと羨ましい。

2日目は共通の友達をキッカケに奇妙な縁で結びついて集まることになった飲み会。これもとても楽しくて、世間の狭さを感じたけどこうして集まっていることがやっぱりすごく変な感じで、でも誰も誰にも気を遣わないでいい感じが心地よい会だった。

3日目は近所で過ごすと決めていた。たまたま近所の大きな公園でやっていたよさこい祭り。面白そうだからと見に行ったらこれが本当思った以上に楽しい。煌びやかな衣装、よさこい阿波踊りの違いもよくわかっていないでみにいったからよさこいの音楽が思ってたよりとても現代的というか、ダブステップみたいな音とか入ってて凄く気持ちが高まった。今の家に引っ越す決め手となった1つとして、この公園が徒歩圏内にあるから、という2人にとってはお気に入りの公園ではこうしたイベントが季節の折りにあるようだから今後も気軽に遊びに行こうと思った。

 

人にたくさん会った三連休。外に出ても人、スマホをのぞいても人。ひと。ひと。私は本来なら人が苦手だ。すごく。1人はラク。1人でいれば回避出来る事象は沢山あるから。誰が誰を好きとか苦手とかdisられるとか嘲笑されるとかエアリプも嫌いだし陰口言われる可能性とかそういう事に一喜一憂し易いから、それなら1人でいたいとおもってしまう。本当はそんな事考える事なく当たり前に人付き合いをしたい気持ちも勿論あるよ。でも笑う時は、嘘笑いはほとんどしない。嘘笑いをしないといけない人には自分からは会わないし、それは本当に事故のように遭ってしまった時に限る話。

 

SNSを見て思うのは、どうしてみんなは上手に輪を形成してそこをグルグルとテンポよくボールをまわすことができて、大縄跳びであればタイミングを掴んで結束力硬く縄を飛ぶことができるのに、私はそこに違和感を感じてモヤモヤして果ては気分が悪くなってきてしまうのか、ということ。考えすぎなんだと思う。入りたければ入る、入りたくなければ入らない。それだけの話。でもそんな事考えているのか、いないのか、当然のようにそれをこなして楽しい!となれる人の気持ちとそれに消化不良を起こしてしまう自分、私がおかしいのかな、と適当に済ませばラクなんだけどそうする度に向いてないから誰とも関わりたくない関われないなとか思ってしまうから、それはよくないと思う。

 

学校生活を放棄したせいかな。

そんな風にも思うけど、それでもなんとかやってきた。好きなものはたった一人で愛していたらよかった。好きと一対一で向き合う関係が不純物のない状態に思えるから。でもそれではあまりに寂しいのか。わかんないなあ。

 

単純に人が怖くて人と関わる事で好きすら壊れてしまうんじゃないかと想像して怯えているだけなのだけど、どうすればいいのかな。

 

ちなみに《うつヌケ》でうつは抜けない。

それについてはまた今度。

 

私がこれまでの私でいられるのも、

あと10日ほど。