_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

ヒヤリとしたい。

ここのところ体調を崩し気味だった。

いや、今もかも。

本調子ではない。

 

まず月曜日、会社を休んだ。

熱が出て、気持ち悪い。ヘロヘロでもう無理と思って朝一に欠勤する旨を連絡してベッドに沈んだ。ツレが、猫たちのいるリビングにクーラーをつけるから寝室のクーラーは切ると言いリビングで休んだらどう?と提案してくれたけど徐々に暑くなる部屋で昼までダウン。暑くて起きて、やっとリビングへ行っても会社を休んだ罪悪感とか、この感覚知ってる、っていうフラッシュバックが起こりそうになる事を無視するために思いついたことは『ホラー映画を観ること』だった。

 

会社休んで涼みながらホラー映画だなんていいご身分だと思うけど、会社に行けるコンディションじゃなかったんだもん。もうしょうがない。アマゾンプライムをつけて、片っ端からホラー映画を漁る。

 

ホラー映画が昔からとにかく好きで、幼少期は親からそれをとても嫌がられた。どうしても観たいとねだって連れて行ってもらった『エクソシスト』。今でも覚えているけれど劇場には私と母を入れて客は5人しかいなかった。吹き替えが良かったけど字幕しかなく、あの有名なブリッジして階段を下るのとかひとしきり見て当時の私の感想は一言で言えば、微妙。後々思えばその時に観たかったのは悪魔祓いとかじゃなく典型的なお化けがみたかったんだ。母親はウンザリとしていた。それも思い返せば夏休みだったな。

 

そして今回観ることにしたのは『喰女』

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四谷怪談を題材にしたもので、序盤は正直言って退屈だった。ホラー映画だと思って観ると退屈と言った方が多分適切。

舞台の稽古をする広い倉庫の様な場所に立派な舞台セットが沢山あり、そこで稽古をしているシーンが話の七割を占めるのではないか。そこで淡々と稽古をする、それをパイプ椅子に座って見守る舞台監督たち。そんなシーンが暫く続く。

 

重ね重ねになるけど、私はお化けがみたい。悪魔祓いとか怪死を遂げるとかそういうのじゃなくって。ひやっと怖がりたい。お化けというのも結構分かりやすいのが好きで、呪怨とかなんてすごく良い。貞子より伽倻子、もしくはひき子さんもあり。なんでかって分かりやすく怖くて、聴覚視覚からドキッと恐怖を味わえるから好き。そういう感覚が欲しい。ジェットコースターで落っこちた時のフワッとした感じが好きとか、そういうのに多分似てる感覚。

 

『喰女』はというと、私が欲していたホラー映画ではなかった。主演の市川海老蔵がとんでもない遊び人の役者の役で、共演女優や現場の女に何かと唾をつけたがる。そんな彼にも彼女がいてその彼女が柴咲コウ演じる劇団の看板女優。2人は四谷怪談の劇中でお岩さん、伊右衛門の役を演じるのだけど、話が進むごとにお岩を演じる柴咲コウの愛憎が極まり半ば生き霊の様になったかと思えばお岩の怨念と合わさって?(なのかな…)いき、そんな気持ちも知らぬ海老蔵は浮気を続ける。最後は完全に生きた人間と死んだ人間の怨念に呑まれて現実と非現実の入り乱れた空間の中で稽古を続けいよいよわけがわからなくなり…、という、お化け的なホラーというよりも最後は人間が一番怖いですね系の映画でした。求めているものではなかったけど、これはこれで面白かった。

 

と、ここまで書いてみて思うのはやっぱり私はこういう感想とか書くのって凄く下手。書いていくうちにそれなりになっていくのかな。

 

そして体調は回復せぬままにその後ソファーでうたた寝をして、まだ昼間なのに家のドアが開く音がした。誰?怖い。まだ昼過ぎ。ツレは帰ってこない。くるはずがない。このマンションはオートロックなのに。誰?!!パニックを起こし動けなくなり、頭の方から足音が近づいてきたところで記憶が曖昧になった。生きた心地がしなかった。

 

夜帰宅したツレにその事を話すと

『玄関に下げているカランカランは鳴った?』と聞かれた。思い返せばカランカランは聞こえなかった。玄関のドアノブに猫の形のカランカランと鳴るベルを下げている我が家。

 

じゃあ夢じゃないか、

となりようやく安心した。

 ホラー映画よりも怖かったのは、現実との境目がとても曖昧な自分自身が見せた夢だったというのも皮肉なものだよね。それでも私は怖くて仕方ないホラー映画がやっぱりみたい。