_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

学級会は懲り懲り

そう思う瞬間思ってしまう瞬間に出遭うのは最早災害というか災難で、ただそれがわたしのトラウマスイッチというだけなので例えばゲリラ豪雨に遭ってしまったとか靴の底が剥がれてしまったとかと同じ。

 

議論する事が嫌い。何かを晒し者にするような事も多数決も答えのない正しさも悪についてもそういうのがもう大嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い大嫌い。どうしてIじゃなくてWEで考えたがるのか。個でいいんだからそれを無理やり集合体としないでほしいって。

 

何度もおまじないのように自分に言い聞かせる、自分の好きだけが全て、自分の信じる気持ちだけが正しさ。そうしていないと身がもたないよ。誰とも本当は共感なんてさほどしたくはない。ただ好きという気持ちだけ自分の心の中で大切に水をあげていつでも綺麗に咲かせておきたい。虫がつかないように、枯れないように、病気にならないように、その心を愛していてその慈愛を栄養に健やかに生きていきたいだけ。

 

その志を邪魔する毒のようなものが学級会にあるガス室みたいな空気の悪さのソレであって、間違えてその部屋に入ってしまったと悟った時には直ぐさま息を止めて、守りに入る。

 

安全圏に逃げ込んでそこが自分だけの小さな箱庭なのだとしてもそれが生きるために必要な行為なのだとしたら私は生きたいからいくらでもそこへ逃げ込みつづける。

 

思考に点数つけたがる、わかるとかいいたがる、批評したがる、議論したがる、そんな世界はそんな風潮はあってもいいけど私は要らない見たくない。

 

生きやすいように生きることを

毎日手探りで探していかなくちゃ。

 

厭世するのは馬鹿馬鹿しい。