_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

暑さのせい。

夏が逆戻りした東京はモワッとした空気が充満してろくに深呼吸もできたものではないね。

 

夏の甲子園が終わった。仕事中、テキスト実況をチラチラと見守り結果は花咲徳栄の圧勝だった。自動更新の度点数がポンポン増える。爽快だった。きっと試合を観ていたらもっと楽しかったんだろうな。人に話すと意外がられる事の一つとして(と言ってもそんなに言う人もいない)高校野球が好きな事。というのがあって、私のこれまでの生き方、物の嗜好から程遠いところにありそうなものだからしっくりこなくて無理もない。何度やり直しても自分にはきっと絶対巡ってこない青春の有り様と、崩れそうもない固い絆、どれも何度やり直しても自身で味わう事が難しそうなところに非日常をおぼえて、憧れて、素直に選手たちの頑張りや、ここまでくるためにした葛藤、全てを賭けるその情熱に凄く揺さぶられるものがあるから大好き。屈託のない笑顔とか、悔しい涙とか、無垢な感情だから安心するし、ほっとする。どんな観戦の仕方をしているんだと思うかもしれないけど、試合が面白いのはもちろんだけどそういうところで救われるような気持ちになる部分もあるんだよ、ってことです。身内がいるわけでもなく母校が出場しているわけでもないのでフラットな気持ちで、どの学校が勝ってもどの試合も良いものだったなと思っていつも楽しみにしてる。そんな夏の甲子園

 

甲子園が終わると、いよいよ夏も佳境。

 

今日はラジオテーマに沿ったメールを書いた。ドロドロについて。詳しくここにその事を書くことはしないけど、ドロドロの根源は常に記しているような事だよ。呪いのようなもの。

 

呪いと言えば、

最近ミシンを使う事を克服した。

 

『できないよ』は呪術だ。

子供にその言葉を擦り込むようにすることは絶対自分はしたくないと思った。この言葉を擦り込まれて出来ない、どうせ出来ないと拒否してきた事が沢山あった。ミシンもその一つだった。不器用だから、危ないから、向いてないから、何かと理由をつけられた出来ないに制限された事。好き放題やってきたつもりでも案外素直に制限下のもとに生きていたんだなって思う。よく言う成功体験って言葉があるけどそれが乏しい人は、もしかしたら成功できる前に規制されてしまった人もいるんじゃないかなあ。なんて思ったり。規制を解除されたような気持ちで走らせたミシン。お世辞にも上手ではなかったかもしれないけど、楽しかった。これで作る事できるな、作りたいもの沢山ある。考えるだけならいくらでもした。最近一番嬉しかった事かもしれない。

 

乗車時間十分で書く備忘録。

一先ずここまで。