_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

やめどき

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『丁度いいところでやめられる人が

   ハッピーエンドよ』

大森靖子「ノスタルジックJ-pop」MusicClip - YouTube

 

ホッとした気持ちと、悲しい気持ち。

そんな日だった。

 

本来、アーティストとファンの距離はステージと客席よりも遠いものだと私は思っていて。

 

それが良くも悪くもとても近い、近くなる事も遠くなる事も選べるのが今の時代で、それはSNSの復旧が大きいよね。あとは何かと便利になった。アナログからデジタルになった。なんでも。色々が復旧する前は、自分の大好きな歌手が今日のお昼、何食べたかなんて知る手段はまずなかった。それが今はリアルタイムで垂れ流される。それは最早普通。別に珍しくない。

 

雑誌を買わなくちゃ、テレビをみなくちゃ情報を得れない、大好きな人の話を気持ちを聞けない。年に数回のファンクラブの会報。普段の雑誌やテレビじゃ知ることが出来ない特別なもの。何度も読み返して、ファンクラブ会員である誇らしさ、ファンクラブ会員だから知る事が出来たという嬉しさに何度だって浸った。

ラジオをきかなくちゃ。いや、ラジオをききたいのにこれは地方局だ。うちじゃきけない。だから地方に住む友達に録音してもらったカセットテープを送ってもらわないと。そうしないと話を聞けない。今ように全国のラジオ局にどこにいようと繋がれる、なんて夢みたいだね。

感想を伝えたい、いいこと、わるいこと、楽しかったこと、感謝のきもち、ガチ恋みたいなラブレター。便箋に書いてファンクラブ宛に送らないと届かなかったこと。それだって、本当に渡せてもらえていたのかはわからないし読んでくれたのかもわからない。でもそれが当たり前だった。けど今じゃDMを解放?思った気持ちを直ぐに本人に直送出来る。信じられない事だよ。しかも返事がくる。夢?

 

一生懸命に情報を手探りでかき集めて宝物のように集まった気持ちを便箋にしたためる。下手くそな文字。かえってこない手紙。それでもライブに行けば会える、テレビをつけたらいる、雑誌の中ではめっちゃかっこいい。ラジオから流れる歌、声、全部が最高。

 

これくらいの距離感が本来の距離で

あまりに近かった距離感については、

嬉しいことも沢山あったけど、疑問もあった。

好きだ。大好きだけど、そのやり方がダメとかではないけど、その近すぎて不安定なグラグラする距離感は言葉にするのが難しいけどなんだろうな。大丈夫なのかな。っていうのか。本当はそんな風に思う距離にいるのもなんか変なものでさ。

 

突然姿を消した事に一日中騒つくインターネット。私は、心配するより先に心から安堵してしまった。よかった、って。だって疲れるよ。あんな場所。疲れる。本当に。でもなかなか抜け出せない疲れるのにぬるま湯にだらしなく浸かるみたいに浸かってしまう場所。どういうつもりでそうしたのかは分からないけど、少なくとも心労になっていた部分はあったと思う。常に見られてる、監視される、一つの物言いで延々揚げ足取られる、死にたい死にたい言われる、おもちゃにされる、嫌だよ。立場があるからと、立場を全うしようと聡明に向き合い続けるところは本当に素敵で、好きだ。でも誰かの神様であっても、彼女がそうありたいと思っても、人間だから全部をそんな受け止めるなんて絶対無理だ。言わずもがな当然のこと。心無いものにボロボロになっていく、心があるのになんでも耐久出来る無敵の心なんだろうと言わんばかりの弾圧とか。ね。人だよ。神様みたいにみえたとしても、同じ人間なのにな。なんだかな。

 

だらだら書いちゃったな。

 

個人的には、やめてよかったんだよ。って思ってしまう。悲しむ人、アカウント復帰を願う人、待つ人、色々いる。いていいんだ。

戻ってきたらそれは嬉しい。でも戻る義務感なんか絶対感じないでほしいとも。こんな場所なんかに。こんな場所が好きならそれはそれで、こんな場所にもいいところだってあるから。楽しかったことだってあるから。

 

屈託のない笑顔で歌うのが好きだというその気持ちを曇らせる事が無いような暮らしを、生き方をしている姿をみていたい。それが彼女にとっての心地良さでも幸せでもないかもしれないけど歌うのが好きだと嬉しそうに話す彼女が今自分から背負おうとしたものにやられてしまいそうになっている事が、とても辛い。そんなもの背負わないで全部捨てて大好きな事だけを、大好きだけを集めてほしい。死にたいなんて集めないでいいよって。

 

距離感が絶対的に遠い事が当たり前であった時代なら、こんな事は起こらなかったのかなって。どうなんだろう。ずっと考えているよ。