_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

音楽を聴けない

かれこれもう2週間くらい聴けない。

辛い時には人間じゃなくて音楽があった。

今が辛いかどうかと言えば特別辛いわけではないんだけど、日々の変化についていけない心身に少しのため息をつきながら過ごしている。テレビ、音楽、ネット。自ら進んで遠ざけている。そこから受ける自分への影響が怖い。というのも一理ありで。好きなものは好きなまま変わる事は無いけれどただ浸透させる余裕がない。そして下手に浸透させてアレルギーを起こしたら?というところまで考えて、テレビも音楽もネットも極力無くしている。それでも案外生きていける。ただ大好きな人の楽しみにしていたアルバムすら聴けていない、というのはちょっとかなしい。買ったまま開封されていないアルバム。ツレが、良かったよと言ってくる事にムカついてしまった。私は聴けるコンディションではないのに報告なんてしないでほしい聴けないの聴けてないのわかってんじゃん。とへそを曲げてしまったのだ。

 

唯一ちゃんと音楽を聴いた、と思えたのは、先月末のこと。新宿の地下二階で、目の前で奏でられた夏果て。その夏果てさえ私にとって久しぶりに聴く音楽だった。ただぼんやりと眺める事しか出来ず、夏の終わりを目の前で告げられ、見下ろした先に私がいて、目があって少し柔らかに笑ってくれる。音だけでなくそれにまつわる全てを集めて音楽という空間で、そこはとても心地が良かった。最前列。障害物はなく、目の前に純度100%の大好きな人しかいない。左右など無いようなもの。一対一。そんな気分で味わう時間はとても贅沢で素晴らしかった。誰ともその良さを分かる分かる、なんて共有してやりたくないほどの格別な。

 

その素晴らしかった時間を延々リピートして、以降また音楽を聴けず、ツレは音楽を聴きながらお風呂に入る習慣があるので流れている事はわかるけど。でもそれを取り込む事なく私は過ごす。

 

何かの拍子で何もなかったように聴き始めるのかもしれない。けど、焦らない。大切を大切にしていくためならなんでもする。

 

毎日二日酔いしているような体を引きずる事に精一杯だ。終わりがあるよと言われたって、今日という日は今日しかないから。終わりがあるとかあまり関係なくってさ。戻れないじゃん。戻んなくてもいいけど。進むけど。傷の舐め合いくだらない。日々増える非表示に連動して世界が少し綺麗になる。月、綺麗だったな。