_eyeronyだけが愛だった_

笑えない過去と、それからの事

心の黒い穴は同じ誰かへとつながるトンネル

この日記のURLを、

30分だけツイートで載せた。

 

本当はこういうのは不本意だった。

でも好奇心が勝ってしまった。

 

素直にブログ始めました!!を言えるタイプでもなくなってしまって、更にはブログを読む事で卑屈になる人嫌な気になる人、誤解したりする人がいるかもしれないという漠然とした不安(いつもの)が先にくる。でも、これは相手の気分良くするための手記じゃない。私の記録。

 

だから幸か不幸か何らかの縁で、タイミングで、URLを見てURLを指かマウスの矢印で押した人だけが辿り着ける場所としようかなと思った。インターネットの海は無限に広がるので何らかの検索でこのブログを見つける人がいるかも。でも、敢えて時間限定で公開したURLを踏んだ人に穴を繋げたいと思った。というのが今日の今に至るまでの経緯。書き出して思うけど面倒な性格してると思う。自覚はある。でもこういう構造なんだよなあ。

 

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今日の空は夏空そのもの。

加工なしでも真っ青な夏空で、暑いのはそんな好きでもないけど気持ちが良かった。別に夏も特別好きじゃないけど良かった。本当は池袋の、真っ青な空に映える真っ白なエントツと空を撮りたかったけど建物が邪魔して全然いい絵にならなくて、諦めた。

 

今週はなるべくどこにも寄らずに帰りたい。

そのために月曜日、大量の食材を買って果てには持ち手は千切れて青ざめながら帰ったのだから。家でできる事、ちゃんとしたいなあ。

 

引越しをして1カ月経ってもなおあまり時間をうまく使えないのは私の怠惰でしかない。どうしようかな、まずはごはんの支度。

 

疲れちゃったしマック買って帰ろう。

 

 

バスにて。

役所へ行った。

 

私はこういう手続きとかすごい苦手で出来たら役所へ行きたくない。恥をかくし。頭良さそうな役人の人たちに私はバカですよ!って自己紹介するような質問をぶつけてしまうに違いなく、受け答えの残念さもそう。ちゃんとした人と話すと自分のそういうところが顕著に浮き上がるから、困る。

 

で、役所へ行った。

思ったよりも済ませたかった手続きは淡々と進んだのだった。18時に庁舎へ着いて、終わったのは庁舎が終わる19時きっかり。乗りたかった時間のバスにも乗れて、帰宅中。珍しく予定通りに事が運んで気持ちがいい。ただ、今車内に本当に大嫌いな蛾がいて執拗に近くを飛び回る以外はうまくいったと思っている。

 

役所にはいろんな人がいたんだけど、間も無く花嫁になる人がいた。一生この口を使って言うことのないような言葉の1つ『ハッピーオーラ』!ソレがもう溢れんばかりに放っているってこの事だ、と思うそんな人。もう全てからキラキラしたものが鱗粉みたいに放たれているみたいですごかった。

 

右手に深い赤色のカルティエの小さな袋を持ってキラキラ笑う彼女。

 

手続きがちゃんとできるのか、不備があったらどうしよう、色々みっともなくてごめん、なんか平気なのかな、わかんない、そういう不安が前面に出ている私。

 

その対比は自分にしかわかんない事だけど

顕著過ぎるほど顕著だった。

不安先行型なだけで決して私は不幸じゃない。

普通に幸せだとおもう。平和だ。

でも不安が勝ってしまう。

 

それでこれまで勝手に厭世しハッピーオーラどころかアンハッピーオーラを放つというとんでもない感じを身近な人に度々してきたと思う。最低だと思う。でも怖いんだもん。

 

まあでもしのごの言ったって別に本当の私の腹の内はワクワクしているはずで、でもそれを外に見せるのが恐ろしく思うだけで別に誰にでもみせりゃいいもんじゃないじゃん露出狂じゃあるまいし。

 

と思った、けど素直に嬉しいを幸せな気持ちを外に向けられる人はやはり綺麗で可愛くて素敵だった。

 

バスの中にいる蛾が私の顔面を掠めた。

派手に払ったら持ってたスマホが吹っ飛んだ。

 

 

恥ずかしかった。

 

もうすぐ家に着く。

 

 

 

わたしの名前も変わってしまうの

7月。

 

前回ブログをしたためたのは4月だから3カ月は過ぎてしまった。春からすっかり季節は夏。3カ月。色々あった。またいつも何かしら色々あるから改めて色々あったなんて言うほどの事はないのかも知れないけれど、それでも今月は特別色々ある月になるのだからいつもと同じというには語弊があるね。

 

過去を懐古するのは嫌いじゃなくて、むしろ楽しい。苦いことを思い出してああ苦かったな、とすることが案外嫌いじゃない。でもそれは呪いのようなもので、その苦さを憶えて思い返すたびに憎悪とか良くないこと、たくさん蘇ってしまう。過去のことがさも今起こったような苛立ちを憶えるから、良くない。でも楽しくなっている自分もいて気持ち悪い。ただその記憶が最悪な思い出だとしても今となっては懐かしい。その最悪と今の対比は自分にしかさせたくないことだから特別で、だから好きなのかも知んないな。わかんないけど。支離滅裂。

 

土曜日は仕事を半日こなして街へでた。雨がパラつく東京は蒸し風呂みたいな日和。すぐに合流できるって思ったのに2時間近く待たされイライラした。不機嫌に拍車をかけた女の怪しいキャッチは、イヤホンを耳にしっかりと差し込んでいた私には何を言ってんのかさっぱりだったけどとても嫌だった。その後もしばらくは私の横に立ってみたり(仲間っぽくみられそうで嫌だった)至近距離で次から次に節操なく人に声をかけまくる姿に最高潮の不機嫌にのぼりつめたところでやっとの合流。疲れた。

 

久しぶりに食べたかなり遅めのお昼ご飯、ラケルのオムライスはとても美味しくて不機嫌はけろっとなくなった。

 

 

___

 

この日の手記はここでおわってたからこれまで

 

7/6 夜

 

鏡合わせの恋

恋じゃあないんだけど

極めて恋に似てるんだと思う。

 

あの子は私にとって鏡のような存在で、粗末でみっともない私とは対照的に輝く存在。その鏡を覗き込むようにいつも見入ってしまう。あまりにも見入りすぎて首とか痛くなるくらいにね。

 

心が軽やかな時は別に何も考えてない、

深く考えないであーただただ好きです会えてうれしー!たのしー!すきー!みたいな軽い気持ちで話せるというのに少し拗らせると童貞か何かみたいに構えて顔までぎこちない表情になって言葉すらろくに出ない。

 

鏡合わせのあの子を恋するように愛してる。

 

それは面と向かってはとても言えないけれど

永遠にこの鏡が割れることなく在ってくれるだけで幸せに思う。

 

 

備忘録0329

3月がもう終わろうとしている。

 

まだ肌寒い日が続いているし、日中は職場の事務所にお籠りで昼休みも外へいかない、事務所の中で済ませてしまうから朝と夕方、夜しか気温や空気はわからないけれど。

帰り道に見上げた近所の小学校の桜がすっかり花開いていて、ああもう桜の季節か、

なんて思ったけどもうあと2日もしたら4月なんだもの。花開いて当然だった。

 

この季節になると思い出す事は大概10代の時の事。

あまり恥ずかしいから人には話さない。でも本当はこうして書き連ねる事で忘れたくない大切な思い出でもある。思い出すのはすごく好きだった女の子と生ぬるい春の風が吹く中を歩いたこと。その時香った梅の花の匂いなんかをとても強烈に覚えていて、その好きだった女の子とは永遠に友達以上に成れる事はないと分かっていて、何よりそれ以上になった時の「お別れ」を恐れていた2人は友達のままでいる事を望んだ。今思い出してもその決断をした時の苦悩とか、大事にしたかった気持ちとか、言葉にするのは難しい事とか。若いなりに一生懸命考えたんだなあ、としみじみ思う。

大好きだった。今でも大好きだと思う。大好き?少なくともあのころは。

その一言に尽きるほど大事で何より好きでした。

春の上野公園、アメ横、吹き抜ける春の風。

その頃好きだったPlasticTreeの「春咲センチメンタル」。


【PV】 Plastic Tree 春咲センチメンタル

別にこの曲に二人を投影するわけではないんだけど。

季節とその時に聴いていた音楽はすごくリンクする。

私にとっての春はこの曲と共に在ったあの季節の事が一番印象的な出来事でだからこそもう何年も昔の事だというのに、五感で感じる何かしらの感覚がその時代に結びついて鮮明に胸焼けするほどに生々しく思い出してその頃に気持ちだけ飛ばされてしまうような。そんな気持ちになるんだろうな。

 

と、春咲センチメンタルよろしくセンチになるのが毎年の春の定番です。

勝手に思い出して勝手に感傷に浸りがち。そんなところでしょう。

こんな事いつまでも思い出しているのはきっと私の方だけなんだろうな。

 

あと2日で今年度が終わり、4月からは新年度。

だからってわけじゃないけれど、髪の毛を10センチほどバッサリ切った。

 

2度目のブログ。次書く時は3度目になる。

3日坊主となるか、続けることは出来るのか。

 

こんな調子でまた明日。

 

 

 

ただなんて事ない日々を一瞬を刻む

最初に日記を、自分の言葉を全世界に発信したのは「メモライズ」だった。

いや、エンピツだったか。

blogという存在が産まれる前の世界で私は言葉を、暮らしを垂れ流していた。

15歳だった。

拙い文章、どうでも良い話、学校へ行けない事、好きな事、嫌いな事。

なんでも良かった。ただ好きなように書く殴った。それが気持ちが良かった。

 

ところが、いつからか素直に文章を綴れなくなった。

 

あれからもう何年もの月日が経った。15年が経った。

いつから書けなくなったかもその理由も自分が一番分かっているけど

今はそれはどうでも良い事。

だって今ようやくまた書こうという気持ちになれたから。

その内容がどうしようもなく拙い事でも。

そもそもこうして書きなぐるのが好きだったのだから。

好きを辞める理由も無ければ諦める必要だってない。

 

この最初の投稿はあと10分で書き上げるつもりでいて、

10分が経過したら強制的に書くことをストップしようと思っている。

 

そうこうしていたら残りは8分だ。

 

10代の頃、日記を書くことが好きだった。

別に反応なんか要らない。友達もさほど多くは無かったからこうして

書くことで自分と見つめあい対話する、それがとても大事な作業だった。

箱庭みたいな小さな作業だとしてもその頃にとっては大切な事だった。

 

今はどうだろう。残り5分か。

 

一種の作業療法となるのか、はたまたただ好きだからという一心のモノとなるのかは

これから分かっていくのだと思う。

 

学校へろくに通う事が出来ない劣等感を背負ったままなんとなく大人になり

強引に社会に溶け込もうと奮闘し成人してから約10年。

ようやく社会人というに相応しい肩書が出来た。

ただハリボテの姿で社会に溶け込もうと奮闘したところでハリボテはハリボテ。

中身は脆くてダメだった時代の後遺症かもともと頭が悪いのか、

今一つ記憶力だって乏しい。

瞬時に言葉が出てきても、記憶力が怪しい。計算も得意じゃない。

 

ということはやはり書いた方が、書き記すの字のごとく

記して残しておく方が良いのではないかと思うわけです。

 

残り1分。

 

初回の投稿はこれでおしまいかな。

決定的な動機づけとかカッコイイ理由とかそういうのはもうお腹がいっぱい。

 

書きたいから書く。好きなものが好き。好きをあきらめない。

これまで諦めてきたすべての事を諦めないように。

 

どんな事でも1行でも長文でも記していこうと思う。